大衆演劇40年 母との思い出残る故郷 竜さん「浅草で勝負」 きょう公会堂で舞台

2024-11-01 HaiPress

メークを落として素顔でインタビューに応じる竜小太郎さん=中央区日本橋浜町で

東京・浅草生まれで現在も浅草に住む大衆演劇役者、竜小太郎さん(50)=本名・石野太呂字=が来年、芸能生活40年を迎える。親元を離れて劇団の一員として全国を行脚した幼少時の思い出や、母との思い出が残る生まれ故郷・浅草への思いを語った。(鈴木里奈)

竜さんは、ダンサーだった美千子さんを母に浅草・観音裏で生まれた。父親は誰なのか、50代に入った今も分からない。

4歳の時に劇団に入り、公演をしながら各地を巡り歩いた。半月ごとに都市を移動し、そのたびに学校も移り変わった。転校の数は小学6年間だけで計約300回に達した。

7歳の頃には、関西の大衆演劇界を中心に「初代浪速のチビ玉」として人気を博した。公演は昼からあるので、授業を受けられるのは2時間目まで。級友と給食を食べた記憶もない。過酷な子ども時代にも映るが、舞台に立つ喜びは何にも代えがたかった。「お客さまの目の前でお金をいただいて見ていただける。こんな幸せなことはない」

ただ、自由な時間がないことに対するいら立ちもあった。高校3年間だけは母の元から高校に通い、1人の少年として同世代の友達とも遊んだ。高校卒業後には再び本格的に芸の道に入り、「流し目のスナイパー」として役者や歌手としてテレビや舞台で活躍するようになった。

しかし20歳の頃、ただ1人の家族である美千子さんが胃がんで死去した。54歳の若さだった。「突然の死で実感がわかなかった。初めて涙が出たのは、亡くなってから1年後でした」

転校ばかりしていた幼少時は、母と過ごす時間はほとんどなかった。ただ、たまに浅草の自宅に帰った時に2人で近所のお好み焼き屋で食事をしたことをよく覚えている。家で食べたカレーライスの味も忘れられないという。

竜さんは40代に入り、母との記憶が残る浅草に住み始めた。昼間とは違う表情を見せる夜の浅草寺を、ほろ酔いで歩くのが至福の時だ。思い出のお好み焼き屋には今も通っている。

舞台「花と竜~熱狂宣言~」のPRで浅草を練り歩く竜さん=台東区で

大衆演劇役者として「浅草で勝負したい」という気持ちは強い。自身の故郷であるという思い入れに加え、人情味あふれる地元ファンの温かさが心にしみるからだ。11月1日の浅草公会堂での公演「花と竜~熱狂宣言~」では、若手役者の花園直道さんらと共に和風にアレンジした「オペラ座の怪人」のショーを上演する。「50代という新たなステージに来た竜小太郎を見てほしい」と前を向く。

1日の公演は午後1時と同4時半から。一般7500円、浅草公会堂で当日券あり。


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